車の運転と簿記(Spok's LogV)

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TOP > 車を運転すれば簿記が得意になる!?        (2004/7/3)

もちろん、ハンドルを握りながら勉強するわけではありません。
ここではイメージの膨らませ方の、ある一つをご紹介しよう。

車の運転に慣れてくると、車幅感覚がするどくなってくることだろう。
すると、例えば、左の前輪が道路のどのへんを走っているか、とか、道路のでこぼこ具合、などをハンドルを通してわかるようになってくる。
体から遠い左の後方のボディーの脇が、ガードレールに当たるかどうかなど、後ろを振り向かなくてもわかるようになる。
なんとなく、車という世界を自分が牛耳っているかのようだ。
まるで自分の手が道路をさわっているようも感じる。
車のコクピットを通じて、車そのもの、調子のいいときは、周りの車まで、自分の手の届く範囲にあるように感じれないだろうか。

勉強のイメージもそんなもので、監査基準を読んでいたら、そこから派生する委員会報告や実務対応指針などが、つらーと、監査基準の言葉を通してわかってくるようになる。まるで、タコの足がさまざまな論点を突き抜けていくように、いろんな論点同士を紐が結びつけるように、そんなイメージがわいてくる。まさに車幅感覚のようなもので、実際には見えないものが、イメージとして、感じられるようになる。

おそらく、車の運転でも、外界からのごく微妙な変化がハンドルを通して伝わってきて、そしてまた自分がハンドルを微妙に動かせば、その直接的なフィードバックや、外界の視界の変化などで、その影響を知ることになり、そうした繰り返しが、すべてと繋がっているかのような感覚になるのだと思う。
それと同様に、その科目のイメージが作られてくると、委員会報告の言葉の微妙な表現の中に、例えば「あ、これは二重責任の原則に気を使って書いているな」とか、「同様の記述が表現は多少違うけど、違う委員会報告の中にでてきている」ということが、つながりとしてわかってきて、だんだん、科目全体を理解し、関連論点が繋がりあっていて、自分がそのすべてと繋がっているような感覚になることができる。

これがいわゆる全体構造のイメージなのだと、私は思っている。

理解というのは、

ある事項とある事項が・・・・大きな原則で繋がっている(共通点がある)・・・ことがわかる。
           
ということだと、私は考えている。

あるルールに従っている、ということがわかる、ということでもよいかもしれない。

卑近な例で言えば、100円のボールペンを現金で買ったとき、なぜ、(借)消耗品費 100(貸)現金 100と書くのだろうか?
この大きな原則というのは何であろうか。

簿記のルールがそうなっている、という答えもあろう。
正確な損益計算のためである、とも答えられるだろう。
いや、消耗品費というのは費用科目というお約束があり、それは損益計算書というフォームの費用科目のことであるからだ、とも言えるだろう。
損益計算書は複式簿記を利用した期間損益を測定しようというものであるからであり、そのためのルールとして、資産として購入したが、すぐにその経済価値を費消してしまったもの、または、費消したと仮定するのが合理的なものは、費用科目として借記し、決算書作成時に資産科目でなく費用科目として集計しなければならず、そのためには、費用科目を定義した勘定科目でありそれが経済活動のひとつである消耗品を費消したという意味である「消耗品費」という科目で書くべきなのだ・・・・、本当であれば、(借)消耗品100(資産)と当初書いておき、経済価値の費消とともに徐々に費用科目に振り替えていくべきものである、ともいえるだろう。
上記は、学者からみればとんちんかんであっても、他の受験生からみてとんちんかんであっても、自分にとってイメージ作りに役に立ち、かつ覚えるのに役に立つのであれば、
試験では十分すぎるほどの「理解」となる。

受験生の多くが特殊商品売買を苦手とするが、「どうしてあのボックス図で解けるのだろうか?」という点を商品売買の実際の商品、金、債権債務の流れ、そして仕訳とを丁寧に追っていけば、ボックス図と仕訳と、現実が、一本の線でつながり、その項目の全体構造としての理解につながっていくのだ。
こんな感じ・・・・。



ただのイメージ図のほんの一部であり、参考程度にしていただきたいが、頭の中で想像するのは、もっと複雑なのである。私のイメージではこの図に、他の商品売買からの線が繋がっていたり、実際の商品の流れといっても、それは実際に商店のオヤジがオヤジギャクを飛ばしながら返品伝票を書くイメージと繋がっていたり、「企業実態に適正に表すには?」という財表の問題意識とも繋がっていたり、過去に演習した答練の問題やその解説をした講師のイメージと繋がっていたりするのである。こうしたイメージはたくさんあると混乱するのではなくて、たくさんあるほど、その理解は増し、記憶の強化にも繋がるのだ。きっと、例えば割賦販売のボックス図の理解をすべて書くとすれば本が一冊かけるぐらいの量の、しょうもないものも含めたイメージと繋がっていく。

ずっと以前に述べたが、私は理解重視の勉強とは、「イメージ作り」だと考えている。
漠然とイメージというと、なんかあやふやで、とらえどころのないように思われるかもしれないが、そうでなく、イメージも細かく分解していけば、いずれ一個の具体的な要素となりうるのだ。人間をとことん分解していけば、1個の分子まで分解できるように。(理系的なつっこみはここではやめておきましょう)。ただ、そのイメージの具体的要素の数が急速に膨らみだすと、1個1個を記述することが困難になり、まさにイメージと呼ぶにふさわしい、アメーバ状のものへと進化していくのだ。このアメーバはときには、アメーバのままであり、ときには急に具体的要素の強調となったり変化自在である。そして、復習をしないと、とたんに萎み、枯れた草木や、かわいたナメクジのように、貧相なものへと成り下がってしまうのである。

元に戻るが、車の運転もそうでしょ?
右に曲がるとき、どうしてますか?

まず、目で前方の確認、車の有無をチェックして、次に後方をチェックして、ウィンカーを出し、車を左車線に寄せ、もし車がきていたら、一台やり過ごし・・・・。などなど、ここに書いたのは、例示としての具体的要素だけれども、だそうと思えば、無限の要素があることに気づくはずだ。ある人は、身を乗り出し、左右の面玉を動かす、などという要素を挙げる人もいよう。しかし、無限である。こうした「右に曲がる」という問題を解決するために無限の要素からなる行動、認識をおこさなければならない。しかし、その細かい要素を1個づつ、すべてを反芻する人はいない。そのイメージ作りのため、教習所で、何度も練習するのであろう。そして習うより慣れろ、の部分もあれば、理解をすることで早く習得することもある。この場合の理解とは、車の構造や交通法規の構造を理解することであり、それは車の模型を使ったり、エンジンやステアリングの構造を学んだりすることなのである。
ひとつひとつの要素はくだらない、些細なもので、それ自体が重要であるようには思えない。しかし、それが、無数あつまり、全体としてのイメージとなったとき、それがまだわかっていない人からみれば、まるで魔法のようにもみえるような、「達人」の域に達するわけである。
つまり、「理解」「その筋の達人」なんていうものは、個々の要素からは導けず、全体としてのシステム(コンピュータという意味ではない)、まさに、イメージというものなのである。(と信じている)
ではどうすれば、「理解」かといえば、

個々の要素を学ぶ
個々の要素の結びつけを考える(結びつけの結びつけも考える)
以上を繰り返す


ことで得られるものである。
何か、講師がポンっと言う一言や、1回の講義で得られるものではないのである
(これは理解による記憶と似たような議論である。覚える教材は狭く、理解教材は手広く、を参照)

車の運転をしない人は、他の自分の得意な分野を各要素に分解してみるとわかるだろう。
バスケットボールが得意な人なんて、私からみれば神様である。あんな重いボールを見事にバウンドさせて操り、後ろ向きにパスをしたり、遠くからボール一個の大きさしかないゴールに入れてしまうのだから。しかし、得意な人からみれば、それは全体としてのイメージがあり、その中で、瞬間的に判断をし、当然である反応をしているはずだ。その全体的イメージというのは「本質」と言い換えてもいいかもしれない。バスケットボールもひとつひとつの要素は、具体的に書けば、しょうもない当たり前のことであるはずだ。しかし、その要素が無数集まり、イメージとなったとき、そのイメージがわからない人間からは、「あの人すげーな」ということになるのである。そして、バスケットボールの場合は、そのイメージ作りのために、何度も練習をし、苦手な部分は繰り返すことにより、克服し、その克服の仕方も、細かい部分をいろいろ修正したり、あるいは、しばらくほっておいたら、なぜか他からヒントを得てしまったり、さまざまであろう。その方法論は、大ぐくりにいえば、ひとつしかなくても、それをブレークダウンし、各個人に合わせようとした段階で、無数の方法論が生まれてくることになるのである。

もしあなたが得意なものが、鉄道模型づくりだったとしても同じである。プログラミングとしても同じである。そう、これは、

本質は流用できる

と同じことを述べているに過ぎない。

以上、「イメージとは何か?」ということの個々の要素をいくつかか並べ、いくつか結びつけることで、イメージというもの、の伝達を試みてみた。
ここでいうイメージや理解とは、あくまでも、「試験に通用する程度」であることはご了承いただきたい。
専門家的にみればつっこみどころ満載であろうが、少なくとも、試験に有用であると思ってご紹介した次第である。

こうしたイメージ構築を、もう少し、具体的にブレークダウンしたものが、いわゆる「図解」である。
元LEC商法、長瀬講師が、図解テキストを使って講義していたが、私のようなイメージ派にとって、それはそれは最適な講義だったのである。
いや、長瀬講師の講義によって、よりはっきりと、図解、イメージの大事さがわかったといえよう。

皆さんも、このわかりにくいイメージとまではいかないでも、「図解による理解」ぐらいは、大いに試す価値があると思う。

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