人は善い人になろう、と努力をするものであるが、しかし、それは通常、何かの動機がないと行えない。すなわち、人に好かれたいとか、人気者になりたい、というちょっと不純な次元もあるだろうし、隣の人に良くしたいとか、貧しい人を救いたい、とかの博愛の次元もあるだろう。更には、来世で良い人生を与えられたいとか、死んだら天国に入れてもらいたい、という救済の次元の動機もあるだろう。 しかし、そのような動機に基づく………本主義社会の成立の謎を十分に解明したが、それ以上に、一人の人間のレベルでみれば、いかにすれば本当の意味での善い人間になれるのかを深く考えさせてくれる一冊である。
このレビュアーはお薦め度を5としています。
「古典」とは、時代を越えて人に感動を与え続ける。たとえそこに、実証や方法論で問題があるにしても。
ヴェーバーのこのいわゆる『プロ倫』もまた、発表当時から激しい批判を被り続けてきたにもかかわらず、多くの人に読み継がれてきた。それはこの本の中に、専門的な次元とは別に、人々に訴えかける何かがあるからだ。「古典」の名に相応しい一冊だろう。
私個人の意見としては、この感動はレトリックから出てくるものだと思う………会の価値判断へと踏み込もうとする彼の筆致は、読むものを圧倒する。その迫力を、大塚久雄の訳は余すところなく(あるいはそれ以上に?)伝えている。妙技というほかない。
このレビュアーはお薦め度を4としています。
近代資本主義の精神は天職として仕事にはげむことを教えたプロテスタント諸派によって培われたとする長編論文。その出発点は、聖書の翻訳で「天職(Beruf)」という言葉を採用したルター。しかしルター派は生活環境(職業)に対する宿命論的な色彩が強く、職業活動への積極性は薄かった。これを転換したのがカルバンの思想的末裔であるピューリタンたちだ。彼らにとって地上の生活は神を賛美する場だった。それは神に選ばれた………心情のない享楽人」である。ヴェーバーをこの宗教社会学的研究に赴かせたのは何だったのだろうか。それは最後の人間たち、つまり同時代への驚愕だったのではないだろうか。
このレビュアーはお薦め度を5としています。
プロテスタントの禁欲的生活様式から資本主義が発生したと、社会学の大家マクス・ウェーバーは言う。これは、歴史的大発見だと言われるが、本書を読めば、著者の膨大な研究軌跡がみてとれる。資本主義の発生には、資本主義の"精神"が決定的役割を果たす。現代、あたりまえのように資本主義(少なくともそう言われている)社会を生きるわれわれが、その精神を知らないというわけにもいかないであろう。資本主義の精神。。。。答えはウェーバーを読めばわかる!ぜひ一読を。。。。
このレビュアーはお薦め度を5としています。
とりあえず定番かと思われます。こんな言い方もなんですが、内容はともかく、とりあえず読んでおいて損はないでしょう。という程度でしたが、やっぱり読まないわけにもいきません。
このレビュアーはお薦め度を3としています。
難解な本と言われています。しかし、様々な宗派について説明した箇所以外は、比較的わかり易かったです。大塚久雄先生の翻訳が優れいることの加え、大塚先生の著書も読んでいたので、おおよそのアウトラインをつかんでいたからかもしれません。 カルバン派から派生したエートスが資本主義を形成していく様子は、ワクワクしながら読み進むことができました。
このレビュアーはお薦め度を5としています。
常識としてこれは読んでおくべき。プロテスタントの精神を知らずして世界史だとか、経済、政治は語れないでしょう。こういった精神を無視して、社会科学を語っているやつらがあまりにも多いこの時代にぜひ読んでほしい一冊です。
このレビュアーはお薦め度を5としています。
表題にある「プロテスタンティズムの倫理性」と「資本主義の精神」は、無論、原因/結果の関係で捉へられてゐる訳ではない。多面的な出来事を概念的に扱ふ時に、或る見通しからアプロオチを試みるわけであるが、それに際して対象から抽象的に抽出された特性を強調している過ぎぬ。精神のレベルで対象を扱う際には下部構造を捨象できるという明確な方法意識も冒頭述べられている。思ふに、現在に本書を読む意義があるとすれば研究者………ならず労働者までもが確実に組み込まれつつあったこと。現在、我々はより高度化し加速度を上げたとはいえ、ヴェーバーの見通しの中にいるように思へる。凄ひ眼力だと思ふ。
このレビュアーはお薦め度を5としています。
この書評の本は・・・・・ プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)